事務局

 ようこそ縄文楽校へ。

実はただ看板があるだけで、

中に入ってみてもあるのは、

木と水と土と石と草とテーブルと
イスだけです。
縄文時代

今から数千年以上も昔のこと。当時の人間が知力を結集して作り上げた「竪穴式住居」は、長い間標準的な建築様式として、人々の生活を支えてきました。

※左は蜆塚遺跡、骨組み写真はWikipediaより

縄文時代に「豪邸」「大邸宅」というものがあったかどうかはわかりませんが、この写真の竪穴式住居は恐らく庶民の為の標準的な住まいだったのではないでしょうか。
平成時代

縄文楽校事務局はといえば、こちらも例に漏れず標準的な建物です。というか普通の家です。

事務局というからには人の集まる場所を想像されるかもしれませんが、縄文楽校では人の集まる場所は主に共室の拠点となる「外」。建物の中はこのくらいで、丁度良いのかもしれません。
喫茶席

テントで過ごすのは、「アウトドア」。ホテルでくつろぐと「インドア」。岩窟や洞穴から始まり、隙間だらけだった住居にはいつのまにか扉が付き、窓がはめ込まれました。

事務局の庭には、椅子とテーブルが並べられただけの喫茶席があります。週に1度(木曜日)、ここでププリ喫茶を開いています。

最近は「家にいないで外に出よう!」という意識が高まってきていますが、家のドアを開ければそこはもう「外」。

こんな小さな喫茶席ですが、自然への好奇心をくすぐるきっかけにでもなってくれればと思います。

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長い長方形の敷地のため写真に収まっていませんが、オオタカも留まったというメタセコイアの木の向こう側には、ジャガイモ、ナス、豆など、「The・家庭菜園」的なものから、ベリー、ビワ、みかんなどをはじめ、いろいろな植物が住んでいます。

縄文時代には既に人間が農耕を行っていたと考えられています。消費のみの生活と比べると、ずいぶん大きな変化ですね。

わたしたちが縄文時代に倣うのは、人間と植物と動物と物質が、当時とても均衡の取れた循環型社会を形成していたのでは、と考えたからです。

活動によって、大きな流れを変える事は難しいかもしれません。けれども一つのきっかけにでもなれば、その一つ一つの小さな芽は、やがて大きな森を作ってくれる気がするのです。